格闘技をやっていることを話すと、時折「根性あるんだね!」と言われることがあります。

昔は事あるごとに「根性を出せ!」とか「根性で何とでもある!」と言う人がいて、この令和の時代でも体育会系の部活や職場では未だにこの言葉が飛び交ってるんだろうと思っています。

そして、格闘技も同様に今でも「格闘技をやれば根性がつく」という言葉を聞きます。

しかし実際のところ、格闘技で本当に根性はつくのでしょうか?

この記事を書いている僕は、

・格闘技歴10年以上
・アマチュア選手としてキックボクシングなどの試合への出場経験あり
・ボクシングのプロライセンス取得を目標に現役で練習中

の身なので、その視点からこの疑問についてお答えしたいと思います。

注:ここからは個人的な主観でお話していることをあらかじめご了承ください。

根本的な「根性」は変わらない

まずハッキリと申し上げると、たとえ格闘技をどれだけやっていても根性はつきません。

どれだけしんどい思いをし続けても頑張れる人は頑張れますし、頑張れない人は頑張れず辞めていきます。

そもそも一般的に言う根性とは何なのか、改めて調べてみると以下の通りです。

1.その人の本来的に持っている性質。しょうね。また、あるものに特有の性質。「根性の腐った奴」「島国根性」「やじ馬根性」

2.物事をあくまでやりとおす、たくましい精神。気力。「根性のある人」「見上げた根性の持ち主」

goo辞書

格闘技を10年以上やってきて感じたのは、根性はここに書かれている『その人の本来的に持っている性質』が9割を占めるんじゃないかということです。

性質の意味は『持って生まれた気質』です。

もし格闘技でこれが変わるのだとしたら、指導者や教え方さえ誤っていなければ格闘技をやっている人はみんな根性が付くだけでなく、他の要素(優しさや誠実さなど)も身に付いていわゆる人格者になれるはずです。

しかし、現実には輝かしい実績を持つ選手やベテランの人でも問題を起こしている姿がたびたび報じられます。

僕はこれが全ての答えじゃないかと思っています。

『目標に対するモチベーション』が根性に見えるだけ

では、実際に僕と同様に格闘技をやっていた人の中に「根性が付いた!」と言う人がいるのはなぜか。

それはおそらく格闘技で達成したい目標があって、そこに向かって頑張れているのが根性だと思っているだけです。

目標を達成したいというモチベーションがあれば、辛く苦しい練習でもよほどのものでない限りやりきれます。

それをもし根性が付いたと勘違いしたままだと目標達成後はモチベーションが無くなって、「結局自分は変われていない…」と落ち込みかねないので注意が必要です。

根性論で格闘技をやっても強くはならない

そしてもう1つ、「格闘技は根性だ!」と言う人がいますが、根性論を前面に出していくら練習しても強くはなれません。

昔は『根性で何とでもなる』という風潮があったようですが、ケガは根性では治りませんし、スランプを根性で脱することはできません。

もちろん時には忍耐力や粘り強さといった根性が必要になる局面もありますが、全てを根性で乗りきることは不可能です。

格闘技に限ったことではありませんが、練習は自発的に考えながらやらなければ身に付きません。

誰かに強制されたり、何の考えもなしにやるものほど苦しく意味のないことはないと思います。

まとめ

本記事の要点をおさらいします。

・格闘技で根性は身に付かない
・モチベーションが根性が身に付いたと思わせることがある
・根性論で練習する格闘技は意味がない

繰り返しますが、これはあくまで格闘技を経験してきた僕の個人的な意見です。

体育会系の界隈では『根性』が好きな方々はたくさんいますし、僕もそれを否定するつもりは全くありません。

ただ、根性で何とかなる部分とならない部分があることは、しっかり認識しておく必要があると思っています。